今回のお話は、うんざりする程長引いた梅雨真っ盛りの7月上旬の出来事。
ハッキリとは晴れない微妙な天候が続いた時期に
私は、レンタカーである場所に向かっていた。
BGMに6月、自分へと送った懐かしBOOWYのベストアルバムをゴリゴリに流しながら。
「人の不幸が大好きさ~♪」
当時、ヤバめなフレーズを歌っていた母の曲に何て曲を小学生に聴かせるんだ、、、と苦笑いしていた自分はいつの間にか現代ではあまり耳にしない荒ぶった音楽にどんどん関心を持っていった。
その関心は、ついに高値で購入を渋っていたベストアルバムとヒストリー本を27歳の誕生日プレゼントとして自分に送ったのであった。
BOOWYのヒストリー本は何冊もリリースされているが、私が購入したのは未だファンの間でも名本と名高い「大きなビートの木下で」。
4人の子ども時代からデビューに至るまで赤裸々に綴ったものである。
今回の記事は、そんなメンバーの幼少期に触れて いても立っていられず 氷室京介の聖地巡りをしょうとレンタカーを走らせてしまったというオチだ。
事前に他のファンが既にネットで投稿していた聖地巡りの記事を参考に、雨がポツポツと降り続ける道を走り抜け到着したのは倉賀野。
氷室とベースの松井の出身地である。
そして訪れたのは、そんな二人が卒業した倉賀野小学校。
ここで、当初悪ガキだった氷室のクラスである友人のランドセルが引っ掻き跡で傷だらけになった という事件が起こった。
担任教師がよく調べもせず氷室を犯人と決めつけ 、職員室では泣いても信じてもらえなかったという理由から 初めて大人への不信感を覚えたと本には記載されている。
後に氷室の母親により「うちの子はそんな卑怯なことはしません!」とピシャっと言い返されているのが家庭の暖かさを感じられ、まだ救いのある話という点ではホッと胸を撫で下ろす展開である。
そんな当時の氷室少年が苦い出来事を経験した場所をじっくりと観察。
既に他者から見れば不審者感をプンプンと臭わせた私は、コロナ休暇であろ校内を子ども等の姿がいないことを確認した後 少しドキドキしながら撮影をした。
当時と幾分か改築はされているのだろうが、結構立派な校舎である。
倉賀野小学校は、倉賀野駅のすぐ近くに設立されているので一緒に見に行ってみることにした。
辛うじて電子化されているとはいえ人影は皆無に近く、随分と物静かな風景がそこには広がっている。
住宅地と田んぼに囲まれ、地元人間かファン以外は近づきそうにもない場所である。
そりゃあ氷室少年達も後々非行にも走りたくもなるか、、、その田園を見つめながら妙に心の中で納得してしまうのであった。。。
聖地巡礼は、小学校から中学校に舞台は移される。
倉賀野小学校から車で程なく5分走らせた場所に位置する倉賀野中学校へ向かった。
この頃、運動神経が抜群に良かった氷室は入学してすぐの夏に、陸上部から助っ人に来てくれと頼まれたと言う。
OKしたからには最後までやり通そうとした彼だか、ひょんな事から性の合わない先輩から目をつけられ 退部にさせられた上に複数人数に喧嘩で囲まれたというエピソードがある。
その際、無我夢中で相手に対抗した事で初めて人を殴った様だか 意識が戻ったときには先輩共々ノックダウンさせ返り討ちにしたらしい(普通に考えたらヤバイ人。。。)
ついでに、この出来事から喧嘩に目覚めてしまったというのだから 〝氷室狂介〟誕生に大きな転機となった場所である。
※BOOWYデビュー当初は〝暴威〟と書き、
氷室京介も〝氷室狂介〟とクレジットされていた
ファンならそんな些細な出来事にも息を荒くして憧れの眼差しで校舎を熱心に見つめるものだろう。
だがそれとは対照的に、現在ではそんな事も知る余地がない現役の学生たちの明るい笑い声が静寂な道路に響き渡っている。
令和は、なんて平和なのだろう。。。
中学校のすぐ後ろを振り返れば、よく氷室本人がお参り行ったと言われている 倉賀野神社も姿を見せる。
ネットであの氷室が参拝した神社!と少し話題にはなっており、気になってはいたのだが まさか真後ろとは。。。
校舎からこんな近くに神社があれば、そりゃあ一回くらいお参りに行くでしょうよ と嫌でも大人なら予想できる近さにあり、少し苦笑いしてしまう。
中に足を踏み入れると本殿らしい建物以外にも
稲荷神社や大黒天といくつか小さい摂社も祀られており 予想以上になかなか立派な敷地なのだろう。
年々偏屈になってしまっている自身の心の汚れを洗い流すかのように手を合わせ、
〝氷室を見守って下さりありがとうございました〟 そんな感謝の気持ちを伝え、その場を後にした。
最後に向かった場所は、氷室と松井の同級生にして絵画の天才。また、若くしてその生涯を終えた 山田かまち美術館を見学した。
山田かまちは、鮮やかな色彩と細部にわたる観察力を3歳に描いた作品からもその実力は発揮されている。
後に好奇心が旺盛な少年らしく絵画だけではなく、切り絵やポエム等の作品も数多く残しているようだ。
当時氷室たちとも一緒になってエレキギターに熱中していた かまち少年。
ある日自宅で練習中にコードが纏わり付き感電死してしまった事が死亡原因であるらしい。
今となっては本当に事故なのか、はたまた自害なのか 、、、。
今となっては確かめようの無い話だが BOOWYのファーストアルバムに収録されている冒頭でも記載した印象的なフレーズが多い「MORAL」では
〝あいつが自殺したってときも〟
という歌詞が書かれており、これは山田かまち少年を指しているのだと言う。
そんな少年の作品をご両親の寄付もあって余すことなく展示されているのが、この美術館。
年代ごとの成長に連れて素直に絵にもその様子が反映されている。
裏腹にそのどれもが年齢に反した絶妙なタッチで描かれているので、一枚一枚見るものの心にジュワーっと焼き付いていく様な強烈な印象を植えつけていく。
特に創作者の精神が健康的な青年だからこそ、他人の成長過程を絵によって擬似体験してしまう程 垣間見えるアイディンティティを覗いてしまっているかのような申し訳ない気持ちにすらされるのだ。
それでも、かまち少年特有の色鮮やかな表現。特徴的な陰影の付け方は やはり心惹かれるものがある。
私は食い入る様に全ての絵を鑑賞し終えた後、図録を購入し美術館を出た。
こうして私の氷室の過去を巡る短い旅は、幕を閉じる。
これといって派手な場所ではないものの どこもその痕跡を残した場所には味わい深い情緒があり、
氷室がもうすぐ還暦近くになる数十年経った今でもファンの妄想掻き立てられるほどに夢のある場所になっていた。
芸能人の実家がプライバシーのカケラも無いほどタウンワーク等に掲載されていた事が今となっては嘘のように思えるが ここ数年でそのような事も廃止。
次第には現地を訪れるまでには至らず、他人に対しての興味すらも だんだんと薄れゆく世の中だ。
だが、直接会えはしないものの、そこに辿り着くまでのルーツに触れることは 色々な想像力を掻き立てられ、
私たちの感性を大きく刺激してくれるものであるには変わらないと今回巡礼して感じた次第である。
故に、やはり年々歳を重ねる度に乏しくなっていく感受性をいつまでも高め続けていきたい。
帰りの車でBOOWY「16」を聴きながら しみじみとそう強く思ったのであった。
コメント
すーちゃん、こんばんは
氷室さんの聖地巡礼、お疲れ様でした。
実は自分も、夏休みに聖地巡礼をしてきました。
お土産もありますので、ヲタのしみにね。
佐藤
氷室が布袋と一緒バンドを組もう話をするため近づいたら、布袋は氷室に殴られると思ったというのは有名なエピソードだよね!
中学時代…BOOWYが流行っていた事を思うと…涼花さんが同じアーティストを好きである事が嬉しい(笑)
BOOWYが凄かった時はライブにいく事は無かったけれど、氷室京介ソロになってからはずっと追っかけていた…全国ツアーの時、四国で見た桜を皮切りに、桜前線をライブと共に北上していた時のことは忘れない(笑)
相変わらず情景が浮かぶ良い文章…ありがとう
見事なまでの田舎で・・( ˘ω˘ )
一枚目の写真が全部同じCDにみえてBOOWYもついにAKB商法を・・!?とおもってよくみたら全部違うのね(笑)
その昔…中学の頃の話。
英語の単語書き取りテストで「男の子」(当然だが正解は boy)に「boowy」と書いちゃった同級生がいました。
テストが返ってきたら、そいつの答えで…2番目の o のとこに赤ペンで斜線がひかれてて「boΦwy」になってたとさ。
お疲れ様です!!!
聖地巡礼ですか~
自分は行ったこと無いですが
楽しんで来られたようで
何よりです
次回は限定解除も取れたことですし
ATじゃなくMTですの~
ではまだ残暑も有りますので
御自愛下さい
こんばんは。
レンタカー、車種は何にしましたか?
氷室、山田かまち、懐かしいです。
ガンプラに頭文字D、涼花さん本当は何歳ですか?笑
今年46の私とめちゃめちゃ話合いそうです。^_^
あら。。。。。。地元です。山田さんちの妹さんと遊んでいました。
今は閉店し、なくなってしまった寺西精肉店にシュウマイを買いに行ってました。
ライブが群馬であったときはキメキメのお兄さん、お姉さんが寺西精肉店の前にたむろってて怖いなぁと思っていました。なんか今日、めっちゃ怖い人が町をうろうろしてるんですけど~~って思っていました。
寺西精肉店のあった近くの九品寺やその周辺が火事になり、焼失したお寺の門やらの修復に氷室京介さんがお供えしたらしく、門の脇の石に”氷室京介”と書かれています。